出会いと別れを見守り続ける、「銀の鈴」の歴史

2018.06.05

東京の中心、東京駅。時代とともに毎日多くの人が利用する巨大なターミナル駅と発展を遂げました。

新幹線で楽しい旅行に出掛けたり、毎日の仕事で利用したり、お友達と買い物に繰り出したり…様々な人が行き交う東京駅の中で、「待ち合わせ」という重要な役割を果たしてきたシンボルが「銀の鈴」。現在の「銀の鈴」は4代目。その歴史の始まりは1968年にまで遡ります。

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始まりは「お客さまのために」という駅員の思いから

初代の「銀の鈴」は1968年6月10日に誕生しました。当時の東京駅は東海道新幹線の誕生にともない利用者が増加し、待ち合わせに困る人が目立つようになりました。そこで「待ち合わせ場所として、巨大な銀色の”神社鈴”をつり下げたらどうか」と当時の東京駅乗客助役・関口要之助氏が提案。当時、東京駅での混雑緩和の会議で提案したところ、当時の駅長から「すべてを一任するから立派なものに仕上げてください」と快諾を得たといいます。

1968年6月10日、東海道新幹線南乗換改札口前に設定された初代「銀の鈴」

 

鈴は古来から人を呼び、注意を促す道具であったことから、駅という場所との相性も良く、シンボルに「神社鈴」を選択。当時の会議で金色の案も出ましたが、金は成金趣味という声もあり、渋い銀色に決定したそうです。こうして初代「銀の鈴」は竹と和紙による手作りで制作され、東京駅構内の1階に設置されました。

こだわりの鈴の音色を追求した2代目

2代目「銀の鈴」は、東京南鉄道管理局が製作。鈴の音が流れる隠しスピーカーの仕掛けが施されていました。発案者の助役は納得のいく鈴の音を求めて、10軒以上の神仏具屋をまわり、音色のいい鈴を1つ購入。駅の仮眠室を締め切って関係者みんなで息を殺して、鈴の音色をテープレコーダーに録音したそうです。

1969年11月24日、八重洲中央改札前に設置された2代目「銀の数」

昭和から平成へ。時代の移り変わりを見守った3代目

3代目「銀の鈴」は、1983年12月に東京駅名店会が開業30周年の記念事業として作成され、1985年に東京駅へ寄贈、八重洲中央改札前に設置されました。その後1994年に駅の改良工事で1階から地下1階へ移転。2007年の撤去までの約22年もの間、多くの出会いや別れを見守ってきました。

1985年2月19日、3代目「銀の鈴」が八重洲中央改札前に設置

東京駅グランスタとともに誕生した4代目

東京駅地下1階の商業エリア「グランスタ」の開業に合わせて2007年10月、現在の4代目「銀の数」が設置されました。当時の東京藝術大学学長・宮田亮平氏の制作によって生まれた「銀の鈴」は、毎時0分に鈴の音をイメージしたメロディーが流れ、お買い物を楽しんだり、広場の椅子で休憩するお客さまに向けて時間を伝える役割も担っています。

現在の4代目「銀の鈴」は、2007年10月25日に設置。

初代から4代目まで、どの時代でも「銀の鈴」は待ち合わせ場所として、多くの人の出会いと別れを見守り、さまざまな思いを育んできました。携帯電話やスマートフォンが普及した現代でも、東京駅のわかりやすい集合場所として大事な役割を果たしている「銀の鈴」。その歴史に触れて訪れてみると、また新たな発見があるかもしれません。

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